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LiBzPARTNERS-STORY │「社外取締役人材が語るキャリアストーリーと経験知の社会還元」(前編)

ハイキャリア女性の転職支援とダイバーシティ&インクルージョンを推進する転職エージェント「リブズパートナーズ」(現:LIBZ 幹部ドラフト)は、転職のリアルがわかる&キャリアの選択肢が広がるプライベートイベントを定期開催しています。

2021年4月開催のイベントのテーマは「社外取締役人材が語るキャリアストーリーと経験知の社会還元」。しっかりとしたコアキャリアを築かれ、そこから派生的・複線的にキャリアを広げ、その広げた役割の一つとして社外取締役としても最前線でご活躍される2名の方をお招きし、それぞれのキャリアのリアルなストーリーをお聞きしました。ここでは、お2人とのトークを、前編、中編、後編、と3回にわたってお伝えいたします。

 

 

目次

1.登壇者紹介

2.これまでのキャリア

 

登壇者紹介

渡瀬様写真_カラー顔写真のみを拡大表示渡瀬ひろみ 氏

京都大学農学部農林経済学科卒。1988年リクルート入社。ブライダル情報誌「ゼクシィ」の生みの親。リクルートにて新規事業畑を歩み、市販誌、フリーペーパー、インターネット事業等の新規事業を手掛け、プロジェクト・リーダー、編集長、事業責任者を歴任。2010年3月リクルート退職。同年、株式会社アーレア(大手企業向け新規事業開発コンサルティング)設立、代表就任。2013年、株式会社トライアムパートナーズ(ベンチャーキャピタル)設立、共同代表就任。2014年、コンサルティング先のひとつの株式会社ぱど(ジャスダック上場)社長就任(2016年退任)。2020年、虎ノ門ヒルズ ビジネスインキュベーションセンター ARCH (森ビル運営)チーフインキュベーションオフィサーに就任。上場企業の新規事業インキュベーション経験多数、ベンチャーキャピタリストおよび個人投資家として、スタートアップ投資と事業成長のための経営支援経験多数。現在は、株式会社アーレア 代表取締役、マックスバリュ西日本株式会社 社外取締役、株式会社DLE 社外取締役、タメニー株式会社 社外取締役。

高岡様写真を拡大表示

高岡美緒 氏

ケンブリッジ大学物理学科卒業。ゴールドマン・サックス証券へ新卒として入社し、外資系投資銀行を経て東証一部上場企業のマネックスグループに入社。主に同社の国内外M&A案件や戦略投資を執行し、マネックスベンチャーズのCVC運営及びグループの新規事業立ち上げも担当。その後、医療系ベンチャーのメディカルノートにて取締役CFO務め、資金調達や数々の大企業との提携、上場準備にあたっての社内体制強化を通して企業成長に貢献。現在は、デジタルマーケティング会社のセプテーニ・ホールディングス社外取締役、コンテンツクリエーション会社のカヤック社外取締役、そのほか複数スタートアップなどの支援を行っている。

モデレーター:

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別宮 洋平
株式会社LiB

大学卒業後、大手金融業界に入社。その後リクルートへ転職。大手企業~中小の採用コンサルタントとして活躍。その後グロービスに転職し、大手企業の組織開発・人材育成に携わる。現在は、HR領域スタートアップの株式会社LiBで執行役員を務める。経営学修士(MBA)修了。

 

 

これまでのキャリア

別宮:
みなさま、こんにちは。本日のモデレーターを務めさせていただく別宮です。本日も多くの方にご参加いただき、ありがとうございます。

(本日のセミナーテーマと、お2人を紹介した後)では早速ですが、本題に入っていきたいと思います。まずはお2人に、これまでのキャリアのご経験について、それぞれお話しいただきたいと思いますが、まず渡瀬さん、お願いできますでしょうか。

渡瀬:
皆さんこんばんは。渡瀬と申します。私の30ウン年間を5分で話すというのは短いですけれど、笑、要約してお話いたします。私は新卒でリクルートに入りました。当時、リクルートはまだ有名な会社ではありませんでした。親に大反対され、それを押し切って入社したら、すぐにリクルート事件が起きる、といった経験もしています。でも、リクルートは、ご承知の通り、クリエイティブで、イノベイティブで、新しいことをどんどん起こす会社です。入社4年目に、社内の新規事業募集制度でブライダル情報誌事業を提案しました。そのコンテストでは落選したのですが、業界の方々から「あなたがやろうとしていることは業界が望んでいることだから、あきらめないで実現してね」といわれ、困難を乗り越えて事業化したら、なんと。その「絶対商売にならない」といわれていた事業が、売上500億円、利益200億円の事業「ゼクシィ」になりました。この経験が、私の全ての礎になっています。それ以降、自分の目で見て、自分の耳で聞いて、そして確信を持ったことを信じて事業を邁進するということを続けてきました。その後も、いくつか新規事業を立ち上げた後、それまで培ってきた、新しい事業を生み育てる能力を、世の中のために使ってみよう、日本のために使おう、と思い、日本をもっと新しい事業が生まれやすい国にする、ということをビジョンに掲げて、45歳で会社を辞めて独立し、株式会社アーレアを立ち上げました。ゼロイチで事業を立ち上げるというのは大手企業のことだけではないので、スタートアップの方からも支援してほしいとお声がかかるようになり、大手企業の新規事業のコンサルタントと、スタートアップの投資育成を両輪で回すようになりました。今回のテーマである社外取締役としての1社目は、マックスバリュ西日本という、売上5000億円の大きな会社でした。お客様の8割が女性なのに、社長も、役員も、事業本部長も、全部男性で、店長の97%も男性、という会社でした。通常、女性の役員が欲しいというだけの依頼は断るのですが、こういった男性ばかりの会社に女性のビジネスの感性を持ち込みたい、という依頼をいただき、これはお引き受けしなければ、ということでお引き受けしたのが最初です。現在は、虎ノ門ヒルズにある、大手企業専門のビジネスインキュベーションセンターにおいて、50数社、約500人の新規事業開発をされている方々のご支援もしています。

別宮:
ありがとうございます。このキャリアだけで1時間話せるのではと思うくらいですが、笑、ひとつご質問させてください。リクルートは、2010年にはまだ上場前だったものの既に大手企業になっていたと思うのですが、どういう想いで大手企業を辞めて独立されたか、その転機をお話しいただいてもいいでしょうか?

渡瀬:
実はもともとリクルートに入る時に、私は面接で、「30歳で辞めて会社をやりたいんですが、それでも入社していいですか?」とすでに聞いているんですね。そうしたら、面接官が、「いいねぇ!応援するよ」とおっしゃったんですね。そんなスタートだったので、もっと早く辞めたかったんですけれど、リクルートはすごくいい会社で、45歳までたまたまいてしまったんです。私は事業を引っ張る責任者をしていたので、みんなに「こっちだぞー、ついてこーい」っていっていた立場だったので、辞めるタイミングが難しいんですよ。リーマンショックの後、ある新規事業の立ち上げをやっていたんですけれど、あてにしていたクライアントが次々と具合悪くなり、事業をいったん畳むタイミングがあって、「辞めるなら今だ!」と思って、脱出ボタン押した感じでした。新規事業に関わる会社を作るということは決めていたものの、辞めた時は何の当てもありませんでした。辞めた翌日、「ああこれから会社に行かなくていいんだ」「自分の足で立つんだ」と思ったときに、空に向かって万歳三唱しましたね。そしてお世話になった方々に独立のご挨拶をして回ったら、あっという間に、あれ、これ忙しくなるなという状況になった、というのが独立当時のことでした。

別宮:
なるほど、もともと独立志向がおありになったということですね。高岡さんはいかがでしょうか。

高岡:
こんばんは、高岡と申します。よろしくお願いいたします。私は社会人になった時は特にキャリアプランが全くなく、その後も20代は直感的に決めてきていたというところがありますね。振り返るとキャリアにおいて一本線でつながっているんですけれど、その時々は行き当たりばったりのキャリアだったと思うんです。明確なプランのない方がいらっしゃれば、そういった方の参考になればと思います。

私は親の仕事の関係で海外で育ち海外の大学を出たものの、日本で生活したかったので、日本の外資系投資銀行に就職しました。その時は、知的好奇心が満たされるかどうか、とか、こういう人たちと働きたい、といったのが選択の軸でしたが、入ってみたら、想像以上の激務でした。自分のライフステージの一つの大きな目標というのが「結婚して子供を産むこと」でもあったので、もう少しライフバランスも大事なんじゃないかと思い、3年経って転職しました。めでたく2社目で結婚しまして、もう少しキャリアに軸を置きたい、ということで、3社目のリーマンブラザーズに転職しました。そこでは頑張って、部長職まで上がっていったのですが、2008年、リーマンショックが起きました。会社がつぶれたというのは結構普通に考えると大きなショックなはずなのですが、2008年に第一子を出産していて、会社の倒産より子育てが大変、というのが当時あったりして、思った以上に動じなかったんですね。そしてご縁があり、マネックスグループというオンライン証券を軸にしている会社に入社をして、最初は経営企画的な仕事をやりました。買収などのプロジェクトベースで忙しい時は忙しい、忙しくないときは忙しくない、というやるときはやるというスタンスの働き方の中で、あと2人出産しています。そんな中で、アメリカで買収した会社のPMIを分析しているとき、その競合分析をしている中で、急成長しているベンチャーの存在は無視できない、という話を経営会議でしたら、私がコーポレートベンチャーキャピタルの立ち上げと新規事業の担当だと言われて、それが私のベンチャーへの道になりました。何も知らない中で、どうすればいいか、聞ける人に聞きまくっていたら、起業家の方、投資家の方、政治家、などネットワークがどんどん広がり視野が広がりました。その中で、自分はベンチャーを支援する側ではあるけれどオペレーションやることを経験しないと満足するような付加価値を提供できないと課題を感じたのと、いろいろな方を知る中で、社会に還元していくことが大切だなと感じたのがこのころでした。ご縁があって、ある医療系のベンチャーに誘われ、テクノロジーを使って、医療に迷わない人を一人でも多く増やす、というビジョンに共感してジョインし、取締役CFOとして会社を成長させ、任期満了で去年退任しました。そのタイミングで、以前から顔見知りだった経営者から、社外取締役の打診をいただいた次第です。並行して、個別の企業のコンサルティングをしながら、次に自分の主軸をどこにするか模索中です。

別宮:
ありがとうございます。ひとつの転機としては、投資会社からスタートアップに行ったということなんですが、世の中的に見ると、スタートアップへの転身は、まだまだリスクが高いというか、不安じゃないのという話もあると思うんですけれど、高岡さんから見て、スタートアップに行く価値ってどんなところだと思いますか。

高岡:
私はリスクだと思っていないですね。むしろ、成長機会が少ない大企業であればそちらの方にい続けることの方がリスクだとも思っています。スタートアップに行く際も、何かあったら、スタートアップにいた経験が、その後に役に立つのではないかなと思っていました。世の中が変わる中においてその変化に対応できる力であったりとか、経営の経験が非常に大事になるのかなと思っておりまして、スタートアップに行ったら必ずそういう力がつくわけではないんだけれども、多くの意思決定に携わる機会が得られるのはどこかというと、その時はスタートアップだった、ということだったのだと思います。

別宮:
なるほど。もっとお伺いしたいところですが、ここから、お2人のトークセッションということで、ひとつひとつ質問をお2人にそれぞれ投げさせていただきながら、お答えいただきたいと思っています。

中編に続く)

 

 

(この記事は2021.04.28に公開されたものです)

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