新しい仕事のカタチで事業と組織をアップデートする

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テクノロジーの力で、フェアな社会を創る。〜エンジニア脳で経営をリードする、LiB No.2 が実現したい未来とは〜

ソニーのエンジニアとしてキャリアをスタートし、DeNAの飛躍のタイミングで経営メンバーとして参画した経験を活かし、「人 × 技術」をテーマに挑戦を続ける取締役 兼 プロダクト部門長の近藤。

コロナ禍以降、働き方も価値観も大きな変化を遂げている今、「エンジニア脳での経営」でLiBの戦略的事業アップデートの根幹を担っています。

令和3年に創業7年目を迎えたLiBは、新たなステージに突入するべく構造改革を重ねています。
第二創業期とも言える今、戦略推進のカギとなるプロダクト人材の採用を加速中。プロダクト部門を統括する近藤のバックグラウンド紹介のために、自身のこれまでのキャリアを振り返ってもらいました。

「テクノロジー × ビジネス」というキャリアの歩み

エンジニアとしてのファーストキャリアは、大阪のITベンチャー企業(​​R3 Institute)でのインターンです。4人しかいないシステム開発要員の一人として様々なことに携わらせてもらい、「大学で学んだ技術が実際に社会の役に立つ」というおもしろさを体感。「一生ものづくりに携わりたい」という意思が固まったのがこの頃なので、ここでの経験がなかったら全然違う人生を歩んでいたと思います。

そこで基礎スキルを身につけさせてもらった状態で、ソニーに新卒入社。当時急速に進化していたガラケー開発を強く志望して携わり、ソフトウェアの企画から実装までを一気通貫で担当しました。当時はプロダクトの進化スピードに組織拡張が追いついていない時代。だから社歴は関係なく、携帯ネイティブ世代として何でもやらせてもらえました。

加えて、ソニーには若手にやりたい放題やらせるという企業カルチャーがあり、自分の周りのマネージャーや先輩方も、それを100%体現されている方々ばかりでした。

自分が欲しいと思える機能を設計して実装するだけでなく、企画もデザインもマネジメントも、プロダクト開発に必要なものは何でも任せてもらえましたし、アーキテクトチームの一員として、最適解を「点」ではなく「線」や「面」で考え、実行する経験もさせてもらえました。ソニー時代に培った幅広いスキルやマインドは、一生モノであったと心から言えます。

そうして開発に没頭しているうちに、iPhoneやAndroidが登場。当時のソニーでは、一世代古いOSを用いたスマートフォンもどき(笑)のようなものを作っていたのですが、OSの作りを比較すれば、Androidに手を出した方が良いのは一目瞭然。そこで、有志で非公式のチームを作って自主的にAndroidの調査やプロトタイプ作成を行い、商品化する承認を得ました。それが「Xperia」の1号機です。

当時、Androidは様子見のメーカーが多かったため、Xperiaは日本メーカー初、かつ世界でも3番目の発売となりました。結果、予想以上の大ヒット。もちろん開発は超難産だったのですが、「大きな成果を得るには、リスクを背負って先駆者になる必要がある」ことを実感した出来事でした。

▲ソニー時代。当時28歳

また、現場感覚が経営判断に勝ることもあることを体験的に学び、結果的にソニー時代で一番大きな成功体験にもなりました。

このXperia立ち上げの立役者は、現場と経営を見事に繋いだソフトウェア開発部門長の方だったのですが、現場感があり、変革を恐れないリーダーとして同部門長への信頼が増す一方で、意思の見えない「経営陣」というものにはモヤを感じ始めていました。

 

経営こそ、エンジニア脳で楽しめる

ちょうどその頃、ヘッドハンター経由でDeNAからお声がけをいただきました。転職など全く頭になかったのですが、お会いする方々がとても魅力的で、少しずつ気持ちが動いていきました。その過程で、当時抱いていた「経営」へモヤモヤのようなものをぶつけてみたところ、「うちの経営陣はすごいですよ」という自信満々の回答と共に、守安さん(当時COO)をご紹介いただきました。

守安さんはエンジニア出身ということもあり、技術革新と世の中の変化について盛り上がり、すぐに意気投合した記憶があります。そしてこんなに技術に興味を持っていて、それをビジネスと接続できる人が会社の指揮を執っている環境は、すごく面白いだろうな、と感じたのです。その面談の直後、DeNAに転職することを決めました。

本業でもバリバリコード書きたいという意思の下、役職もリセットして1エンジニアとして入社したのですが、配属された部署の上司が極めて柔軟な方だったので、入社直後から全幅の信頼と様々な裁量を与えてくれました。スマートフォンのスペシャリストとして、また海外拠点マネジメントの経験者として、守安さんや南場さんの相談に乗る機会も多く、入社半年経ったころには執行役員に任命されました。

自分が責任を持つ範囲が広がれば、得られる情報も増え、景色の見え方も変わります。気づいた課題をひとつひとつ解きほぐして原因を探っていく。原因が分かったら、そもそもそれを起こさない仕組みを考える。こういった思考過程は、実は慣れ親しんだ「ものづくり」と全く同じだと気づいたのです。

これに気づいてから、事業・組織運営や会社経営でも、全部同じエンジニア脳でやるようになりましたそれは今も変わりません。ビジネス用の思考回路、プロダクト作りの思考回路、と言った区別はなく、全て同じ思考回路でやっている感覚が明確にあります。

この頃から、自分の中の知識や経験が有機的に繋がっていき、最も広い視野での仕事=経営というものがどんどん面白くなってきました。

 

真の「戦略・戦術」の実践、アメリカ赴任を経て、新たな挑戦へ

単に「面白くなった」と言うと、嬉々として経営に勤しむスマートな姿を想像されそうですが、当時のDeNAはそんな平和な環境ではありません(笑)。DeNAはガラケー時代の大成功がそのままジレンマとなり、スマートフォン時代における適切な戦い方を固めるのは容易ではありませんでした。喧々諤々の議論を重ね、ビジネスと技術が重なる領域で最適解を探る「戦略」というものを真に理解・実践できたのはこの時期のおかげです

また、その戦略の実践の1つとして、世界と戦えるクオリティのチーム・プロセス・開発基盤・プロダクトなどを積み上げていく経験もさせてもらえました。日本発グローバル企業を作るという強い意思を持った多種多様な人材が、文字通り粉骨砕身する日々。奇跡のような面子でプロダクト開発における究極系のようなものを本気で目指し、戦術的にも実働的にもやり切った感覚があります。

こうした努力が実を結び、USアプリストアの売上トップ3独占など、日本チームによる成果が出始め、ヒットタイトルを着実に作っていく手応えを得始めました。ゼロからPMFを達成した頼もしいチームと強固な開発基盤を活かし、いよいよスケールフェーズへ・・・というタイミングで、苦戦していた北南米の海外子会社群の立て直しを任されることになり、アメリカに赴任することになりました。

英語が好きでも得意でもなく、海外赴任希望もゼロだった自分にとっては、人生最大のチャレンジともいえる出来事でした。力及ばず、最終的に北南米の海外拠点群は全て閉鎖することになりましたが、四年間の赴任期間中にかけがえのない経験を得ることができました。中でも

・「HARD THINGS」が片っ端から発生する環境下での真の「経営」
・人材流動性が極めて高い環境における企業と個人の関係性模索
・性別/人種/言語などの壁を越えた多様性のあるチーム作り
・自身と家族がマイノリティになる経験

などは、後にスタートアップ業界に飛び込んだ時に生きてくる貴重な財産となりました。

帰国後は当時勃発していたキュレーション問題の対応を担ったのですが、そこで再認識したのは、DeNAには有能な人材が異常なほど集まっているということ。1を伝えれば10理解してくれるし、どんな状況でも全力コミットしてくれるし、マネジメント視点では非常に楽。多種多様な価値観や能力が入り乱れていた海外拠点を経験せず、ずっと日本にいたら、当たり前すぎて認識できなかった幸せを痛感しました。それに加えて、経営陣との距離も近く、待遇や報酬も申し分ない。

でもある時、この快適な環境がふと怖くなりました。ここに安住していたら、自分の成長が止まるのではないか?と

もし50歳でリタイアする時代なら、残り10年そのポジションに安住していたでしょう。でも今は、80歳まで働くと言われている時代で、ものづくりを一生続けたい。このまま「優秀」な人材が集まる環境に安住していたら、その後自分はどうなっていくんだろう?という強い危機感が芽生えました。

気づけばアラフォーと呼ばれる39歳になっていましたが、思い切ってもう一度仕事環境をリセットし、新たな環境で新たな挑戦することに決めました。

 

「人 × 技術」をテーマに、何かできないか?

挑戦するなら自分がとことん夢中になれる環境でやりたいので、自分は今何になら夢中になれるんだろう、ということを真剣に考えました。超大企業から無名のスタートアップまで、多種多様な企業の経営者の方とお話させていただく中で、自身の興味を突き詰めて言語化していくと、最終的に、

・【What】ヒトの行動に関するイノベーション
・【How】技術と人手の組み合わせによる仕組み

をやりたいんだと気づきました。

時代が進み、様々なものごとの前提が大きく変わっているのに、昔の前提のまま動いている企業・組織・個人が多く、その歪みによる問題がたくさん発生しているのでは?
それをアップデートする仕組みを作れれば、多くの人がもっと幸せになれるのでは?

当時私が発見できた企業の中で、このWhatとHowを満たす企業は一社しかなかったので、その無名のスタートアップに三人目の社員として飛び込みました。そこでやりたいことを思う存分やらせてもらいつつ、その可能性と効果に確信を深めていきました。

後に経営に対する考え方のズレが顕在化し、1年強で退職することになったのですが、このWhatとHowをスタートアップという環境で追っていくことには大きな手応えを感じていたので、40代は何度失敗しようとこのテーマに賭ける意思を固め、また環境探しを始めました。

LiBと出会ったのはこのタイミングです。

 

LiBのビジネスは、社会にもっと大きなインパクトを与えられる

LiBの第一印象は「女性特化の人材事業会社」であり、正直なところ、最初は全く魅力を感じませんでした。紹介されたURLからLiBのWebサイトを開き、そっと閉じたのを覚えています(笑)。

ところが、松本を始めとする経営メンバーと会話する中で、「LiBは、社会的価値と商業的価値が両立する事業を生み出し続けるために創業された」こと、具体的には「働く女性の良質なデータベース作りと、それを活かしたビジネスで勝負しようとしている」ことを知って考えが変わりました。

思ったよりも難易度の高い挑戦をしている。案の定、実際に苦戦もしている。ただ、今この時代にこそ取り組むべきテーマだと感じ、エンジニアとしての自分の根底にある「ものづくり魂」がかなり刺激されました。

何より、
・この仕組みを作るには、技術と人手を絶妙に組み合わせる必要があること
この仕組みが完成した時、女性だけでなく、多くの企業や個人の行動を変えることができること
つまり、自分がやりたいWhatとHowを完璧に満たせることをはっきりとイメージできてしまった
のです。

事業的にも、既存の人材事業をピースの1つとして捉えれば、これまで蓄積したノウハウを活かしてより大きな絵を描けると考え、2018年10月、LiBに二代目COOとしてジョインすることを決めました。

▲COO就任当時、旧オフィスにて

そこから3年間は「エンジニア脳での経営」をフルに活かし、事業アップデートのための抜本的な構造改革に着手。経営陣、経営方針、事業戦略、サービスモデル、ビジネスモデル、システム、組織、文化など、変えていない箇所が思い当たらないほどあらゆる領域の改革を断行しました。

※構造改革の具体的な中身に興味がある方はこちらへ!

そういった厳しい時期を経て、ようやく今「女性特化の人材事業会社」から「蓄積データを活かした社会構造変革事業の会社」に生まれ変わろうとしています。迷わず「第二創業期」と言える今、やっと世の中にインパクトを与えること目指して走れる状態になりました。

▲社会構造変革の仕組みの概念図。詳しい内容はぜひ面談で!

 

どんな人と働きたいか

優秀な方にジョインしていただきたい、というのは全企業共通の願いだと思いますが、LiBとしては「直感的に、LiBが目指していることに共感できるか」を何より重視したいと考えています。具体的には、以下のようなキーワードにピンとくるかどうか、で判断していただくことができます。

▲抽象的かもしれませんが、1つぐらいはピンとくるものがありませんか?

これらはLiBのキーワードとして掲載されていますが、ほぼそのまま私個人の興味を表すキーワードでもあります。どれか1つでも関心があれば、LiBのプロダクトづくりを通して、一緒に深掘りを楽しめるかもしれません。

【採用募集】
https://herp.careers/v1/libcorp
プロダクトマネージャー・
エンジニアを募集しています!

 

実際にどんな仕組みをどんな風に作り上げようとしているか気になる方は、プロダクト人材向けの資料をもとに、ぜひ面談等の機会に詳細をお話させてください!

 

(この記事は2021.09.14に公開されたものです)

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